テニスの歴史の知識と知恵

 
■テニスの歴史の知識

 

 

 

 
■テニスの始まりとは
 
 
テニスの原型として一般的に認知されているのが「ジュ・ドゥ・ポーム(Jeu de paume, 手のひらのゲームの意)」です。

 

 

11世紀にフランスの修道院で考え出されたもので、修道院の中庭や室内にネットを張ったり地面に線を引いたり区域を分けて、手のひらやグローブをはめた手、もしくはそれに代わる道具を使ってボールを打ち合ったといわれています。

 

 

ジュ・ド・ポームは、初めは聖職者に、その後は貴族段階を中心に流行し、ほかの段級の人々はプレーを禁じられていた。中世では、イギリス、スペイン、ドイツなどヨーロッパ各地へ広がっていきました。

 

 

ポーム人気が高まるにつれ、各地で専門コートが建設されました。そしてほかの類似の打球戯と区別するため、ポームを「リアルテニス」と呼ぶようになりました。

 

 

■テニスの普及・発展とは
 
 
リアルテニスが盛んになり、ポームの世界選手権も18世紀中頃にはパリで開かれるようになりましたが、毎回ルールをめぐる混乱が絶えませんでした。しかし、19世紀後半における3つの出来事がテニスの近代化へ大きな道を開いていったのです。

 

 

第1は1873年に英国のウォルター・ウィングフィールド少佐が「スファイリスティック(ギリシア語でプレーの意)またはローンテニス」と名づけたパンフレットを発表したことです。このパンフレットではローンテニスのコート、ルール、用具を整理統一しています。

 

 

第2は1874年にヒースコート氏が実用化したテニスボールの開発です。それまでポームで用いられていた中芯のあるボールは、芝生の上では弾みが悪く、プレーに制約を強いていました。しかし表面をフランネル布で補強したゴムボールを実用化することで、芝生の上でも十分弾むだけでなく、軽量化され、操作性も向上しました。

 

 

第3の、最大と思われる要因は1877年のウィンブルドン大会の創設です。アマチュアなら誰でも出場できるオープンシステムにして入場料収入をあげることを考えついたのです。大会用ローンテニスのルールを決定し、22選手が参加した大会はアーサー・ゴア(イギリス)が優勝しました。この大会の成功をきっかけに毎年大会が開かれるようになり、これが現在のウィンブルドン選手権へとつながっていきました。

 

 

さらに重要なのは各クラブがこの大会を目指すようになったために、大会規則が必然的に世界の統一共通ルールと発展していったことなのです。1881年には全米選手権(現全米オープン)、1891年には、フランス選手権(現全仏オープン)1880年にはオーストラリアで最も古い州選手権がビクトリア州でそれぞれスタートしています。

 

 

■テニスの競技史と技術の発展とは

 

 
1.テニス競技の発展

 

 

ウィンブルドン大会の誕生とともにスタートをきった近代テニスは、今世紀に入って世界的な広がりを持つようになりました。

 

 

1905年に全豪選手権(現全豪オープン)が始まり、1925年にはフランス国際選手権(現全仏オープン)があらゆる国の選手に門戸を開放し、現在の4大大会の基礎ができたのです。

 

 

1895年の英米対抗が発展して、1900年にはデビスカップ戦が生まれ、国別対抗の形態が整いました。女子の国別対抗戦は第二次大戦後でしたが、これで個人戦、団体戦の2つのスタイルができあがったことになります。

 

 

現在のテニスの隆盛のきっかけとなったのは1968年のオープン化でした。有力選手のプロ転向やアマチュアながら裏で金銭を受け取る詐欺行為の解消を目指して、1967年12月、イギリス協会はプロの受け入れを決定しました。1968年3月には国際連盟もこれを黙認し、主要大会は一気にオープン化に突き進みました。

 

 
2.テニス競技の技術・戦術の発展

 

 

近代テニスで最も改良を加えられ進歩したのはサーブ技術です。サーブ技術はネットの高さの変化とともに向上していきました。第1回ウィンブルドン大会は、参加22選手が全員アンダーハンドのサーブだったのです。ネットの高さの変化とサーブのスピード化が密接に結びついていると考えられます。

 

 

また、ネットの高さの変化にはラリーの応酬のための適切な高さが求められたことや、ネットポストトが木製から1880年代に入って鋼鉄製になり、ネットを自由に強く張れるようになりました。そして、ネットは1883年に現行の高さに定められました。

 

 

また、ラケットの改良にも進み、木製から強い反発力をもつ化学繊維製ラケットへ、フェースも体型化してスピード化が進み、時速200キロを超すサーブも珍しくなくなりました。

 

 

全仏オープンに代表されるヨーロッパのクレーコートでは、ストロークを粘り強く続けるベースラインプレーヤーが有利といわれ、ウィンブルドンのような芝コートではサーブ・アンド・ボレーヤーがアドバンテージを握りがちです。その中間ともいえる全米オープンのようなハードコートでは、攻守兼ね備えたオールラウンドなテニスが要求されるのです。

 

 
3.日本における普及・発展

 

 

正式に日本に紹介されたのは1873年、文化省に体育伝習所が開発されてアメリカからリーランド(G.A.Leland)が教師として就任し、テニス用具を取り寄せて学校体育の一環として指導したのが最初でした。しかし、ラケットもボールも輸入品で、当時の一般の日本人には高価すぎて普及するには至りませんでした。

 

 

1890年にテニスを学校体育に取り入れる意図で、玩具用ゴムまりをつくられ、そこで習った学生たちが各地の学校に就任して軟式テニスを指導するという形で急速に普及していったのです。

 

 

1920年、アントワープオリンピックで日本が初めてメダルを取ったのがテニス競技です。男子シングルスで熊谷一弥選手、男子ダブルスで熊谷一弥・柏尾誠一郎選手ペアがそれぞれ銀メダルを獲得。日本人選手として最初のオリンピックメダリストとなりました。

 

 

1921年、日本はデビスカップ戦に熊谷、清水、柏尾の3選手で参加しましたが、出場のための必要条件である国内の統一団体を結成するため、事後ではありましたが1922年3月11日、組織化の第一歩として日本庭球協会創立発会式が行われ、世界のテニス界の仲間入りを果たしました。

 

 

このデ杯でオーストラリアを破り、前年度優勝のアメリカチームとのチャレンジラウンドに進んだことによる入場料収入分与金は、発足したばかりの日本庭球教会を支える基金に使われました。

 

 

1922年、第1回全日本選手権大会が開催されました。女子は1924年に第1回全日本女子選手権大会が行われました。これから、日本のテニスはトーナメントや対抗戦が多く組まれて、テニスクラブと学校を中核として発展していき、戦時中のブランクを乗り越えて全国に広がっていきました。

 

 

それからも、欧米各地で日本人選手が活躍しましたが、2年連続で準決勝に進出した佐藤次郎選手が1933年9月の世界ランキングで3位に入りました。

 

 

1967年4月に日本で最初の民間のテニススクールが東京で営業を開始し、従来の学校のテニス部とごく限られた個人によるコーチという指導体系から組織化への道が進められました。

 

 

日本のテニスは、元来、学校と企業によって育ってきたといえます。1968年、世界のテニス界はプロ、アマにこだわらずに、同一大会への参加を認めるオープン化を決定しました。

 

 

この頃から日本にもプロプレーヤーの養成を主目的にするプライベートのテニススクールが数多く生まれ、選手育成の過程も多数多様に広がることになったのです。

 

 

選手層も拡大され、現在のテニスプレーヤーの層は、トーナメントプロ、社会人選手、学生、クラブ育ちのジュニア、高、中学生などに区別されます。それぞれのカテゴリーに合った、個性を生かした指導方法の確立が求められています。

 

 

プロ選手は賞金で生計を立てられない限りは、本当のプロとはいえません。男子の厚い層の構築と、世界的レベル達成には、現在の指導環境に加え、従来の形でもあった競技生活終了後の身分を保証する企業のテニス界への参画が望まれる時代が再び巡ってきているのかもしれません。

 

 

参考資料:テニス指導教本 写真が語る日本テニス史

 

 

■テニスの歴史の知恵
 

 

 

歴史を学んで何になるのだろう?と思っている人たちへ、一般には歴史を勉強することは先人の知恵を学ぶことのようにいわれています。また、過去から現在、未来を考察することができるなどがあります。

 

 

その中でテニスコーチは歴史から何を得て何を学ぶのでしょうか?それは、歴史からはエネルギーをもらえるのです。テニス競技は、日本で初めてオリンピックでメダルを取った競技です。デ杯でもチャレンジラウンドという決勝まで進んでいます。

 

 

昔のテニスは強かったというエネルギーがもらえます。錦織選手が96年ぶりにオリンピックでメダルを取ったことは日本のテニス復活の予感もエネルギーになります。

 

 

テニスチャンピオンのプレースタイルはグランドストローカーからネットプレイヤー、オールラウンダ―、アグレッシブベースライナー、右利きから左利きへなどの変遷を学ぶことで次への流れを読むヒントが学べます。

 

 

歴史的には道具・用具の発達でのプレーのスピードアップによる激変がおこりましたが、テニスコートは不変の空間です。このことを踏まえれば身体機能とバイオメカニクス、プレースタイルなどをブレンドすればオリジナルなものが見つかるかも?

 

 

このような歴史の捉え方もありますが、テニスコーチ1人ひとりが創造力を膨らまして明日への活力を生み、未来へ進むためのものを歴史は教えてくれるのです。


HOME はじめに お問い合わせ プロフィール