テニス指導の始まりから未来へ

 

昔、といえば凄く年代が違う印象ですが、テニス指導において日本の歴史は浅く、1885年(明治18年)に「戸外遊技法」と言う翻訳本の中で、テニス競技を含む21種競技が載った解説書が発刊され、それが日本で最初のテニスルールブックと言われています。

 

 

日本のテニス指導を本格的にスタートさせたのは、1958年(昭和33年)から起こったミッチーブームからです。美智子皇后が当時の皇太子殿下とご成婚なされ、その出会いがテニスコートということで日本中が湧いたことがきっかけになりました。

 

 

この時の、「皇室ロマンス」によりテニス需要が高まりテニスコートの整備が進み、第1次テニスブームが始まりました。これを期に、テニスが全国的に広く認識されるようになり、そして1967年民間テニススクールが東京で本格的にスタートして、テニスコーチが職業として社会に進出を果たしました。

 

 

この当時のテニス指導は、ほとんど元テニスプレイヤーがコーチとして指導していました。まだ、確立されたテニスの指導方法があったわけではなく、各コーチがテニス選手としての経験を指導の基礎にしていました。

 

 

情報の少ない時代に素晴らしい発想と知恵で指導され、現代の指導のかたちを作られた方々には感謝と尊敬の念を抱きます。まだ「水を飲んではいけない」「水泳は肩を冷やすからいけない」の時代ですので、当時の数多くのテニススクールでは科学的な指導とはかけ離れていたことは想像できます。

 

 

これが日本のテニス指導のはじまりです。つまり、昔と言っても60年たってはいません。現在、まだ半世紀を少し過ぎたあたりですが、道具の進化に伴ってプレースタイルが変化し、テクニックも大きく変わりました。特にラケットの発達によりテニスが簡単に出来るようになり、主婦層が増えたことが現在のテニスの発展に貢献していると言われています。

 

 

第2次テニスブームは沢松和子選手がアン清村選手と組んだウインブルドンダブルス優勝と、「エースをねらえ」が相乗効果でブームを巻き起こしました。これから日本のテニスは女子の時代へと進んで、この時期には女子テニス部への入部希望者が増えたと言われています。

 

 

第3次テニスブームは伊達公子選手、沢松奈生子選手など代表に数多くの女子選手が世界ランキング上位に名を連ね、フェドカップ(女子の世界団体戦)では、伊達選手が世界No1のグラフ選手を破りベスト4に入るという歴史的快挙がありました。この当時にはテニススクールも順調に増え続け、駅や街中で、OLや学生がラケットを持って歩く姿が多く見られました。

 

 

これまで、男子といえば松岡修造選手のウインブルドン・ベスト8が話題になった以外はあまり活躍できませんでしたが、アニメで「テニスの王子様」が流行り、テニスの王子様世代が台頭してきました。女子に差をつけられていた男子が盛り返すきっかけになりました。

 

 

現在、錦織選手の活躍によりテニスが注目されています。アニメの「ベイビーステップ」も人気があり、これからしばらくはテニスブームが続くと考えられます。この好機にテニスに係わるすべての人たちでテニスを押し上げていかなければなりません。

 

 

テニス業界の発展も重要ですが、スポーツ庁が新たに設置され、日本のスポーツに対する意識が高まっています。スポーツによる健康増進における医療費削減やスポーツマンシップに示される人間形成などが期待されています。これらのことからもテニスコーチ、テニス指導者が自己研鑽に努め指導の質を高めることが未来を明るくさせるのです。

 


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